著者の追悼の記

著者、西川文太郎の追悼の記
[本書の緒言として書かれた]

わが国実業家中、その身の微賤(びせん)より起こり、一代において巨万の富を(かさ)ね、世に成功者をもって、目されるるもの、決して(すくな)しとせず。
しかり、既にその一代において、成功者の名を博するにいたるは、もとよりその才力の非凡にして、群衆に卓越せるものにあらずんば、いずくんぞ、よくかくのごとくなるを得んや。
しかりといえども、これら人士中、その立身の経路において、行動の公明正大にして、俯仰(ふぎょう)天地に()ぢざるもの、果たして幾人やある。
しかるに、我が兼松翁の、その身を貧賤に起こし、六十余年間における歴史の波乱重畳(ちょうじょう)、しかもその行為の高潔なるは、世のいわゆる成功者といささか、その撰を異にせるを見る。
しかして、その性、磊落(らいらく)なるも放縦(ほうじゅう)ならず、気骨稜々として、常に、一片の侠心を有し、その計画するところ、または行うところのもの自ずから国士の風あり。
この性格たる、もとより天賦に出るものなるべしといえども、また、幼事より世にありとあらゆる境遇を経て、人世の辛酸、世路の曲折をなめつくしたる結果ならずんばあらず。
翁の生涯を通観するに、絶倫の努力をもって、貧困に屈せず、小成に安んぜず、他力を頼まず、僥倖(ぎょうこう)を祈らず、猛烈なる活動をもって終始したる者。
換言すれば、その成功や誠意誠心、自己を尽して独立独歩。
しかる後に、よく()ち得たるものにして、かのいわゆる成功者流のごとく、夤 縁(いんえん)阿附(あふ)*したるの比にあらず、真個に活教訓、立志伝中の人と称するも、決して、過褒(かほう)にあらざるべし。
世の青年にして、この伝記を熟読玩味せば、必ずやその発奮啓発するところ大なるものあるを信ずるなり。

  • 政府者に夤 縁(いんえん)阿附(あふ)=政府高官に取り入って、おもねり、政府の支援で事業を伸ばす
  • 兼松房治郎は、政府の援助を得ずに、起業成功させた。