聚楽館を構想
翁の性格と趣味
翁や壮時においては、その覇気の
年
かつ、
人に対して、さらに城府を設けず、一見ほとんど、旧知のごとく、その相手の貴賤と、老若と、男女とを問わず、その言を傾聴し、自己の意見もまた吐露していささかも腹蔵するところなし。
その弁舌巧妙にして、しかも熱誠こもりたれば、翁に接せる何人といえども、云いしれぬ快感を覚ゆると共に、その得るところのもの多かりき。
翁の夫人に対するや、親愛到らざるなく、その家庭円満にして、常に和やかな風、堂に満ち、観る者をして、まことに
しかれども、夫人との間に一の子女なく、晩年、林家より
翁、また、人を信ずること厚く、店員のごとき、一旦適任者と信じて、これに委するや、成果をその人に待ちて、いささかもこれに
一度用いられたる者は、その知遇に感激すると共に、その任務の軽からざるを自覚し、至誠をもって熱心、ことに当りし。
濠州支店を管する北村寅之助、神戸本店を支配せる古立直吉、両氏のごとき、幼時より数十年間、翁の
翁に
翁の病める、なお、その父の病を見るがごとし。
そのついに、
翁、また、人を信ずること厚く、店員のごとき、一旦適任者と信じて、これに委するや、成果をその人に待ちて、いささかもこれに掣肘せいちゅうを加えじ。
怡色いしょく*満面、かつ愛撫し、かつ鼓吹せり。
一度用いられたる者は、その知遇に感激すると共に、その任務の軽からざるを自覚し、至誠をもって熱心、ことに当りし。
濠州支店を管する北村寅之助、神戸本店を支配せる古立直吉、両氏のごとき、幼時より数十年間、翁の撫育ぶいくを受け、寝食を共にして奮闘せるもの。
翁に父事ふじ*せるはもとより、その處ところなりといえども、その他多数店員にいたりても、翁に親炙しんしゃ*して、常に生死を共にせんことを期せし。
翁の病める、なお、その父の病を見るがごとし。
そのついに、易簀えきさく*するや、愁雲店舗を鎖し、店員および家族らの慟哭せるは、うべなりと
健羨 =非常に羨ましい怡色 =うれしそうな顔つき父事 =父のようにつかえること親炙 =親しく接して感化を受けること易簀 =貴人の死。曾子が死に臨んで、季孫より賜った大夫用の簀 を、分相応だとして、易 えた故事から云う。
聚楽館の濫觴
翁は、その趣味、極めて広く、読書は唯一の楽しみにして、書画、骨董、囲碁、茶花などにも興味を有せり。
遊芸もまた好めるところにして、
先年、神戸市に開設せる貿易共進会の余興として、「湊川踊」の催しあり。
内外人の好評を博せるをみて、翁ひそかにおもえらく、
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「これをただ一時の余興にとめず、場所を定めて、春秋二李に湊川踊りを催すこと、京都における都踊り、大阪における芦辺踊りのごとくせば、自ずから神港芸妓の品位を高め、その技芸を奨励するの具となるのみならず、また、外客招致の一策たらざるなきや」と。
これを有力なる某々氏にはかりしに、いずれも賛同の意を表し、ここに市内に一の会場を建設し、湊川踊催時の他は、これを慈善会、その他の高尚なる演芸会に貸与することとせんとの議は起これり。
これぞ、現今、
以後、翁は熱心にこれが設置に尽力せしが、その成功を見るにおよばずして、ついに逝去せり。
その聚楽館が、今日のごとく、純然たる劇場に変じたることの、翁の本志に
兼松濠州翁
濫觴 =物の始まり 揚子江も水源にさかのぼれば、觴 を濫 べるほどの小川である。
出典:荀子昭和48年の聚楽館の写真
初版のタイトルは、兼松濠州翁でした。ご精読ありがとう、ございました。(掲者)