港湾設備/制度の改善
海陸連絡設備
対外貿易の漸次隆盛におもむくにしたがい、海陸連絡の完備を計らざるべからず。
しかるに、ここ十数年における、神戸港の状態はいかん。
その税関の設備および海陸連絡の不完全なるため、貿易同業者のこうむる不便不利すこぶる大なるものあり。
よって翁、主となり、武藤山治、
これを初めとして翁ら有志は、しばしば、上京して、みずから当局者および
幸いに翁らの苦心空しからずして、以後政府は神戸税関のいわゆる第一期拡張工事を行い、三十五年度よりは百二十万円の工事費をもって、小野浜海陸連絡工事を起こすこととなりて、ようやくその目的の一部を達するを得たり。
朝野 = 政府と民間。(朝は政府、野は民間)
貿易調査会設立
是よりさき、翁は阪神有力者が海陸連絡工事のために一致の行動を取りたるを機とし。
なお進んで対外貿易発展につきて、調査講究すべき私立の一機関を設置せんことを発起し、 翌三十三年[1900年]四月、神戸市に「貿易調査会」なる一有志団体を設置しせし。
以後港湾の改良、税関の拡張、通関手続きの改正、その他、対外貿易の発展上に関し、
また、その筋の諮問によりて答申し、その参考に資せしこと幾回なるを知らず。
ことに港湾改良につきては、創立以来、始終全力を尽くし、濠州シドニーにおける港湾の改良、 Harbor Trustの利害得失を調査講究して、その結果を広く朝野に頒布し、 神戸港事管理庁設置の議をその筋に建議したる。
貿易調査会には会長なく、常務幹事五名を置き、翁が、これの主席たり。
溢美 =褒めすぎ
港務統一の建議
海港なるものは、対外交通路の一大関門なれば、相当の管理者を定め、その土木に関する規定、もしくは営造物その他百般のことに関して、一定の法式を定むる部局なかるべからず。
しかるに、わが国における海港の現状を見るに港湾そのものの管轄所属においても、すでにその監督官庁を異にせるあり。
したがって、全国大小の港湾施設に対しても、統一の方針を定め、緩急その度を得せしむるあたわず。
さらに、港湾内部の監督行政にいたりては、内務省、大蔵省、逓信省、鉄道院など各その部分によって、相い分かるるあり。
ために連絡の統一を欠き、その統一なき結果として、港務は実に複雑を極め、その不便損害は、ついにひいては貿易の消長にまで関係するにいたれり。
翁、つとにその港務統一の必要を感じいたりしが、日濠貿易を開始し、しばしばシドニー港に渡航してその状態を目撃せし。
シドニー港は開港以来多くの年所を経ざるに、顕著なる発達をとげ、
その理由が、その港湾の地理的に良好なるによるは、勿論なりといえども、天成の良港を
まず、HarbourTrustなる一つの特殊団体を設け、もって港内の諸財産を挙げて、HarbourTrustに任託し、港湾の修築保存、船舶の航行、繋泊その他港内における凡百の事項を処理管掌せしむることとせし。
以後、着々、港湾に人工的設備を加えて、常にその改善を怠らざりき。
翁はシドニー港の隆昌が、これによれるを知るに及んで、いよいよわが国にもシドニー、その他に行われるこの種の制度を折衷適用せんとするの念、一層強くなりたるがごとし。
以後、貿易調査会において、シドニー、メルボルン、ならびにボンベイなどにおけるHarborTrust規定を翻訳発行せし。
翁の発意にもとづき、著者*はシドニーに渡航して、港湾の実況を観察し、HarborTrust制度の内容を調査して、その
なお、貿易調査会会員総会の決議をもって、「神戸港港事管理庁設置の件」を当時の内閣総理大臣および当局各大臣に建議するにいたりたるも、翁の発意に出でざるはなし。
わが国の港湾とくに神戸港の改善については、翁の
しかりといえども、政府財政上の都合により、その繰り延べとなるたびに、HarborTrust制度の実行せられざるを遺憾とせられたりき。
当該制度の採否は、とにもかくにも、その築港の完成を見るに及ばずして、翁の永逝されしは、実に終生の恨事なりしならん。
しかるに、近時、わが国において、港湾事務統一説起こり、現に第三十議会において西村代議士他一名によりて、「港湾政務統一に関する建議案」が提出せられて、両院の容るるところとなり。
以後その筋においてもっぱら、調査中に属すと聞く。
翁、もし地下にこれを聞かば、「
このこと、また翁の意見が、常に通常人の先駆をなし居りたるの一証とすべきなり。
忽諸 に附す=おろそかにする- 著者=本書の著者西川文太郎のこと
- 第三十議会=大正2年(房治郎永眠の年)に開かれた第三十回帝国議会
- 「
豎子 教うべし」は、黄石公の化身である老人が張良をみこんで言った言葉。その言葉は「この子供には教育するだけの値打ちがある」であった。張良は漢の高祖、劉邦の軍師。ここでは、「教えるべき人には教えておくべきもの」の意味
輸出商品改善の苦心
翁の生涯、海外貿易の発展に心を傾注せしことは、改めて記するの要なし。
しかも、翁は、ただ口にこれを説けるのみにあらず。
常に実際につきて、その発展の方策を講究研鑽して怠らざりき。
翁、常に曰く、
-
「おもうに、我が国の輸出製品が海外需要地において、粗悪なりとの悪評を受けるゆえんのものは、結局、競争の結果、安価なる物品を供給せんとするに急にして、その品質のいかんをかえりみるの
遑 なきに他ならざるべし。
安価なるものを供給する、あえて咎 めるべきにあらずといえども、ただ、安価なるのみにて、その品質脆弱ならんか、他国商品との競争に打ち勝つあたわざる、もとよりその所なり。
品質の堅牢にして、しかも、安価なるものを製出提供してこそ、初めて競争場内において優者たるの名誉を得るなれ。
これは、はなはだ、無理なる注文のごとしといえども、その工夫次第にて決して、なしあたわざるにあらず。
しかれども、かくのごときは、単に輸出業者のみにては、如何ともするあたわず。
よろしく、製作者との連絡をつくるを要す。
商ありて工なり、工ありて商にして、両者はしばらくも離るべからざるものなり」と
されば、その取り扱える商品に対しても、終始この方針を取りて、あえて
なかんづく、タオルの改良については、その苦心の尋常ならざるものあり。
すなわち本邦製品は比較的安価にして、体裁のごとき、一見欧米品に譲らずといえども、その耐久力にいたりては、到底、彼の製品におよぶべくもあらず。
しばらくして殆どその用に堪えざるにいたるのおそれありき。
いかにもして、これを欧米品に比して、遜色なきまでに改良せんとして、欧米製品の見本数百種を
あるいはドイツの新機械を購入し、これを製織所に貸与して、製織せしむるなど、極力、これが改善に努めたる結果、ついに需要地において
- 明治の日本は、繊維原料を輸入して、その完成品を輸出する産業構造で、発展した。繊維完成品の品質向上を、原料輸入業者が指導支援することで、原料輸入業者も商量拡大を見込めた。